最近よく思うのですが、30代以降のいわゆる「本当にモテる人」とは何かを考えると、一言でいうと「リスクがとれる人」だなと感じています。
本当にモテる、と言うのは人間にもそうですし仕事やお金にも好かれているイメージです。良縁に恵まれるという感じでしょうか。
モテると言うのも都合よく扱われるとか祭り上げられるとかではなく、誠実に惚れられて、誠実に大切にされ、支持を得る人。
この記事ではそんな「本当にモテる人」の考察をしていきます。
20代のリスクと30代のリスクの違い
リスクを因数分解すると、
- 責任をとる
- 決断をする
- 未知である
- 損する可能性もある
- 予測できないことに挑戦する
- 賛否両論がある
これらの要素があると思います。
30代以降になると特に、ノリだけでは動けなくなってきたりする人も多いかもしれません。
20代までに比べて自分の今後の選択肢が減ってきているように感じてしまったり、守るものが増えたり、人の人生の重みを知ったり、うまくいく人とうまくいかない人が二極化しているのを目の当たりにしたり…
個人差あれど、いわゆる「慎重になる」という人は増えるのではないでしょうか。
だからこそ、リスクを取れる人と、取れない人が分かれていきます。
「失敗したくない」の種類が変わるんですよね。
20代までの失敗のリスクは物理的な損かもしれませんが、30代以降の失敗の怖さのイメージは「プライドが傷つく」「評判が下がる」「恥をかく」など、心理的なダメージも追加されていくからです。
「いい大人」という看板によって、「失敗の言い訳ができない」というような心理があるのではないでしょうか。
なぜリスクが取れるとモテるのか
職場恋愛が多いのは、「真剣な姿に惚れるから」
マイナビウエディングの調べでは、大人がどこでモテているかというと、職場での出会いが圧倒的に多いらしいです。全体の出会いの29.1%が職場、マッチングアプリなどはその次の22%、同列で友人からの紹介も22%でした。
職場恋愛が多いのはなぜでしょうか?
それは、単純接触回数が多いから、というのもあるかもしれませんが、一生懸命なその姿が美しいからだと私は思っています。
もし、適当で、責任も取らず、決断することもなく、挑戦することもなければどうでしょうか?
おそらく「美しく」はなく、「モテ」には繋がりにくいんですよね。
気楽には関われるかもしれませんが。
対人関係にモテないということは、お仕事にもモテないということです。
モテとは美しさである。
美しさとは挑戦や責任や決断である。
挑戦や責任や決断にはリスクが伴う。
そして、リスクは怖いから取りたくない人が多い。
リスクを取る人は、なぜそれができるのか?
私は、リスクを取れる源にあるのは「真実の波動」なのだろうなと思っています。
実は今回お話ししたいのは、ここがメインです。
「波動」というとスピリチュアルな印象にはなりますが、どれだけ探してもこれ以外に言葉が見当たらないのです。
「真実の波動」と「嘘の波動」についてお話しします。
真実の波動と、嘘の波動がある
人が輝くのは、心に持っているものが真実だからです。
やっていることがどれだけめちゃくちゃで、不道徳で、周りから見て理解も容認もできなくて、アンチがやってきたとしても、真実の人は輝いている。
だからモテる。人にもお仕事にもモテる。
30代以降のモテは、見た目や性格の良し悪しではないのです。
そして、表面はブレても、どこか一貫している根本の部分は変わらない。
それが自分の真実だからです。
逆に、「なんか、この人いいこと言ってるけど本心を掴めないな」
そう感じる時はありませんか?
それは、確証はないにせよ、あなたも嘘の波動を感じているのかもしれません。
私の感覚としては
- やけに饒舌
- 目を見ない、もしくは逆に目を離さない
- 確信に触れず、表面をなぞっている
こんな時は、本人も無自覚の嘘をついている場合があります。
例えば質問の仕方一つでも、「質問ではないんですけど〜」という入り方をしてみたりする。
自分がダメージを受けることを回避するために、色々装飾してしまうんですね。
そこには嘘の波動があります。
これって何か特殊な能力がなくても、なんとなく感じるものだと思うんですよね。
本当の自分を見られたくない、跳ね返ってくるカウンターが怖いから核心に触れることはせず、少し離れた距離から見ていたい。
それでついでに何か得られるものがあればラッキー!という勇気のなさがあります。
そして、真実の波動の時は
- 逆に言葉に詰まることもある
- 振る舞いが自然
- 言葉に感情を感じる
- 損得勘定ではない
このような印象を持っています。
これは、本人も無自覚で、自分で簡単に気づけるものではないと思うのです。
コンサルやコーチングの時でも、最初クライアントは無自覚の嘘をつくことがあります。
これが悪いことだという意味ではなくて、自分自身でも自分の嘘に気づくことは容易ではないということです。
人は、無意識に自分に嘘をついてしまう。
「失敗したくない」
「責任を取りたくない」
「損をしたくない」
「本当に正しいかは自分にもわからない」
「人にどう思われるか心配」
その恐怖が根底になるから、リスクを取るよりも自然な嘘をついている方が自分も楽で安心なのです。心理学的にも、得るよりも、失う恐怖の方が強いそうです。
しかしその結果、行動にも嘘をついてしまって、人にも嘘をついてしまうのです。
そこから始まるのは、嘘の人生です。
嘘の人生を送っていくと、自分自身が自分に違和感を感じるようになります。
その結果、
- 自分の本心がわからない
- 何がやりたいかわからない
- 決断、選択することができない
- 自信がないので責任が負えない
- はっきりと自己主張できない
何をするにも騙し騙しになってしまって、その上サンクコストバイアスで今までついた嘘を守りたいが故に、人にも本心を隠してしまうようになるのです。
お仕事でもそうですよね。
私は自営業で、今までいろんな事業主さんのサービスを客観的に見てコンサルするという仕事をしてきたのですが、リスクを取れない時のサービス設計は「あれも・これも」という内容になっています。
本心がわからないから、決められないのです。
失敗が怖くて、たくさん保険をかけてしまうのです。
そうなるとサービス設計がぼやっとしてしまい、その美しさがお客様に届くことなく、【非モテ】な結果になってしまうことは多くありました。
コントロールするほどに非モテになる
どうしてこんなお話をしたかと言いますと、誰かを批判したり評価したいわけではなくて、私自身に思うことがあったからです。
人との関わりの中で、自分のしてきたことを振り返ったりしていました。
「〇〇してくれるなら〇〇しよう」
「〇〇してくれなくても、大丈夫って覚悟しておこう」
「面倒だけど、やっておいたほうが後々得になりそう」
「ここではこんな態度をとっておいた方がメリットがありそう」
「こうした方がいい女に見えそう」
私自身にも、こんな思惑がありました。
その時の自分の気持ちとしては、「良かれと思って」でした。
これが、対人関係における「愛する」なのだと。
でも、結局のところ「愛する」という態度をとることで、「相手をコントロールしよう」と思っていたんですね。
これ、真実か嘘かで言うと、嘘っぽさがあるんですよね。
計算高さや打算。
何かを変えるリスクが取れない。決断できない。自分で責任が取れない。
相手の反応に任せてしまう。
そして自分でリスクを取るつもりがないから、なんだかふわっとしてしまうし強い感情も起こらない。
そして別れという結果にはなるのですが、自然な流れだなと思いました。
嘘の波動を纏って、リスクを取ることもせず、美しく生きていない。
つまり非モテなんですね。
もちろん当時はそんなことに気づくこともありません。その時はその時で一杯一杯だったから。
時間が経って、過去の自分を振り返った時に「モテる」とはなんなのか、考えることができたのです。
真実の波動に気づくには?
人の真実や嘘を暴こうとするためにこのお話をした訳ではなく、自分自身の生き方を問いたいのです。
嘘に慣れていると、真実にはなかなか気づくことができません。
でも、「違和感」は生まれると思うんですよね。
という気持ちになるのです。
これは、自分が満足していて愛に溢れているから思う受容の「どっちでもいい」ではなくて、心がどちらにも動かない「どっちでもいい」です。
そしてもう一つ。
この時も、嘘の波動から生まれていることは多いのかなと感じています。
- 怖いから当たり障りない返事をしておこう
- どちらに転んでもいいように布石しておこう
- 予防線を張っておこう
- 自分は間違っていないという根拠をとっておこう
これは全部、私自身がしていました。
自己保身。
自分が傷ついたり失敗する勇気がないから、真実にぶつかることができないのです。
ということで、ここしばらくの私自身の研究報告でした。
もし、「モテが足りない」と思われている方がおられましたら、ぜひ問うてみてください。
リスクを取ろうとしているか?
- 挑戦しているか?
- 責任を取れるか?
- 選択をしているか?
- 賛否両論を受け入れるか?
- 真実の波動が自分から出ているか?
なんだかんだで逃げ道を用意していないか?
今の生き方は、美しいか?
人生は、自分が生きたように、なっている。
だからこそ、振り返っていきたいと思っているのです。