
はじめに
私たちは時に、不安や悲しみを抱えます。
頑張ったのに報われなかった。
愛したのに愛されなかった。
気をつけたのに、失敗してしまった。
また、頑張っても報われなかったらどうしよう?という未来への不安もありますよね。
これは一言で言えば、「望むリターンが得られないことへの苦しみ」です。
私たちは、原因と結果がまっすぐにつながっていると考えるからこそ、こうした恐れにとらわれる。
今の努力が未来の結果を決め、今の失敗が未来を傷つける…
でも、本当にそうなのでしょうか?
原因と結果の因果関係は、本当にそうやって、強固に結びついているのでしょうか?
私はあるときから「いつか帳尻が合えばいい」という感覚を持つようになりました。
そして、この感覚を持ってから、「不安が頭からずっと離れない」ということがあまりなくなりました。
その時の事実に気分が引っ張られず、それぞれ別のものとして存在するようになったのです。
今回の研究報告では、私たちの人生に起きる出来事の時間軸や因果関係そのものを問い直していこうと思います。
私が日頃感じている、とても感覚的なものですので、その正しさを証明する、というのはできないにしても、生き方が楽になる一つのアイデアとして皆様に共有したいです。
1.人生を「線」ではなく「箱」として捉える
一般的な時間へのイメージは、過去から現在、そして未来へと続く一本の線のような感じかと思います。
この直線的な時間の中では、「今の努力が未来を決める」「今の失敗が未来を損なう」という因果の縛りが起きます。
すると私たちは、短期的な結果に一喜一憂し、物事の矛盾や間違いを過度に恐れるようになる。
たとえば
「恋人と別れることになったのは、私が至らなかったせいだ」
「あの時、こんな選択をとっていれば、もっと長く一緒にいられたかもしれない」
過去の何かの行動のあとに、現在の結果が起きているのだと推測するのです。
他にも何かに挑戦しようとした時や、学ぼうとした時に
「今、成果がないなら意味がない」「今、うまくいかないなら失敗だ」と思ってしまう。
けれど、本当に人生はそんなに単純な「線」なのだろうか?と私は疑問に思っているのです。
私の感覚では、人生は一本の線ではない。
むしろ一つの「箱」のようなものです。
その箱の中には、過去・現在・未来が順不同に入っていて、すべてが同列に存在している。
つまり、過去も未来も、実は今のすぐ隣にあるわけです。
この感覚を持つと、「原因が先で、結果が後に来る」という時間の縛りが弱まります。
原因があっても結果が出ないこともあれば、原因をまだ作っていなくても結果だけが先に迎えにくることだってある。
順番はどうでもよいのです。
大切なのは、「いつかどこかで帳尻が合う」ということなのです。
2.帳尻はどこで合うのか
「帳尻が合う」とは、すべての経験が結局は全体の中に収まるということです。
「人生の箱の中」には辛いことも幸せなことも、愛することも愛されないことも、すべてがすでに含まれている。
私たちはその箱から「今、どの経験を取り出して体験するか」を選んでいるにすぎないのです。
そう考えると、今がうまくいかなくても、それは「失敗」ではなくて、ただ、箱の中の別の要素を体験しているだけなんです。
私は「愛のボキャブラリーを増やそう」というお話をすることがあります。
これは一体なんなのか?と言いますと、愛のボキャブラリーを増やすと、過去も今も未来も変わるのです。
視点を変えると、視界にある情報も変わるということ。
愛していたという過去
愛されなかったという過去
人それぞれ、過去の記憶というのがあると思います。
しかし、それは本当にそうだったのか?
これは「あなたの記憶は嘘ですよ」という意味ではなくて、愛のボキャブラリーが増えた時に、「あれは愛されてたんだな」とふと思い出がひっくり返って、新しい追体験みたいなものをすることがあるのです。
その当時は知ることができなかった情報が、未来で思い出されるということ。
そうした時に、突然自分の人生との和解が始まることがあります。
このように、私たちが見ている現実というのはかなり曖昧で、順不同になっているのです。
過去の悲しみを、今感じることができるように、未来のワクワクや不安も、今感じることができると思います。
つまり、嬉しいも悲しいも愛しいも幸せも、箱の中に混ざり合って存在していて、私たちはどの要素でも取り出すことができる。
そして
嬉しくないと、行動できないことがあるように
悲しくないと、考えないことがあります。
自分が誰かを傷つけないと、知ることができない感情があります。
ある日突然、幼い時に聞いた曲の歌詞の意味がわかったりもします。
どれがどれと関係しているか、というのはかなり曖昧。
しかし全て必要な分だけ人生の中にあって、そして人生を全体として俯瞰したとき、「これはこのためにあったのか!!」といつか帳尻が合うのです。
3.「箱理論」が生む自由
この感覚を持つと、人はずいぶん寛容になれるような気がします。
あなたが今どのような状況であっても、今すぐ幸せになってもいいし、あとで幸せになってもいい。
どちらにせよ、すべては体験されていきますから。
だからこそ、自分を責め立てる必要はない。
人を急がせる必要もない。
過去や未来にとらわれすぎず、ただ「今この瞬間にどの体験を選ぶか」に集中する。
そうすれば、たとえ今の部屋が散らかっていても、宇宙から見れば美しい星が輝いているように、人生全体は美しい秩序を保っていることに気づくことができるように思うのです。
「いつか帳尻が合えばいい」という考え方は、時間に縛られた私たちの心を穏やかにしてくれるような気がしています。
人生は線ではなく、箱のようなもの。
そこには過去も未来も現在も、すべてが同列に詰まっている。
好きも嫌いも全部やる
愛するも愛さないも全部やる
貧しいも裕福も全部やる
わかるもわからないも全部やる
全部やるのです。
人生の箱の中には、絶望も、希望も、全部あります。
だから、焦らなくて大丈夫。
今うまくいかなくても、どこかで帳尻が合います。
その大きな箱の中で遊んでいると気づいたとき、
私たちは「結果をすぐに回収しないといけない」という焦りからも解き放たれて、もっと自由に、もっと安心して、そしてもっと人間らしく生きられる。
「どうせ、全部やるんです。」
あなたにとって、もしこの言葉が心強いものになったとしたら、ぜひ受け取っていただけたら嬉しいです。
今回の研究報告も、読んでくださりありがとうございました。
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