こちらのブログには、Voicyの文字起こしを投稿しています。
視覚優位の方や、文章の方が内容を落とし込みやすい方は、ぜひこちらも併せてご覧になってください^^
話し言葉に合わせて、改行が多くなっております。そしてラフでございます。ご了承くださいませ。
みなさまおはようございます。
佐藤ありさです。
このVoicyでは、自分と人をゆるく愛して
社会のいろんな枠組みから自由になっていくための
「愛するための哲学」を発信していきます。
Voicy、1週間くらいおやすみしまして
かなりお久しぶりな気持ちでございます。
最近は大学行ったり研究行ったりで東京行ったり大阪行ったりしてますが、そこで何を感じるというと、好きなことを探究すると、人間は元気になるんだなということです。
私、自分のセルフイメージとしては、こんなに外を出歩けるような体力を待ち合わせていないんですよね。
なのでできればずっと家に引きこもっていたいんですが、今はその逆の生活をしています。
じゃあなんでこんなに色々できているかというと、
もちろん、もう予定を入れちゃったからやるしかない、というのもありますが
やっぱり好きだからストレスなく動けているというのがあるんだと思います。
それで、脳波から見ても、好きなことをやったり得意なことをするとアルファ波が出やすいんですよね。
アルファ波って健康や美容の効果があるって言われてるので、そういう関係もあるんだろうなーと感じています。
それでですね、今日の内容は執着をテーマに話したいんですが
なぜかというと、楽に生きるには執着って手放しなさいって言われるじゃないですか。
でも、研究者たちの生活を見ていると、そこには強い執着というのは必ずあるんだろうと感じるんです。
もちろんみんなではないと思いますが、私が知ってる方々は結構な変態が多いです。でもそれが魅力なんですよね。
それなら、執着を悪者にだけするのはちょっと勿体無いなと私は思ったんですよね。
ということで今日のテーマは執着についてです。
執着心との素敵な関わり方をお話ししたいと思います。
・・・
皆様、執着ってどんなイメージでしょう?
まずは、欲ですよね。
あれがほしい、これがほしいという欲。
他にも
「やらねばやらない」「こうあるべき」といった、口に出してないにしても自分の中にある大切にしている固定概念ですよね。
これしかない!という一点集中をして離れない状態でもあると思います。
執着というのは
生きてる人間には
だいたいあるものです。
一つ最初にお伝えしたいんですが
執着って
目で捉えられる具体的なものに起こりやすいです。
人そのものやお金や見た目とか健康な体とか食事とか
服とか、そういうものですよね。
これ、大事なので覚えていて下さい。
あとでお話しします。
それで、
皆様は聞かれたことが
あると思うのですが
執着を手放すと楽になるって
言われますよね。
執着の反対は悟りです。
悟るために執着を手放す修行をする文化もありますよね。
だからここ数年って
断捨離とかリトリートとか
ものを持たない暮らしとかが流行って行って
個人的にはすごく良いことと思うのですが
ただ
そこで「執着を手放さないと!」って思いすぎることで
また執着って起きていくと思うんですよね。
そもそも
執着があると何が不都合かというと
抽象と具体で考えると
執着って具体なんですよね。
具体的になればなるほど
選択肢がなくなります。
選択肢がないっていうのは自由の反対の不自由ですよね。
その不自由が大きくなっていくと痛みを感じたり苦しみになって行きます。
執着の何が苦しいかというと
その出来事や対象から頭が離れなくて
そこから抜け出せない不自由さが
苦しいんですよね。
・・・
それで私が思うには
執着とどう関わればいいかというと
気づくだけでいいと思うんですよね。
あ、執着してるんだな。って。
別に、執着は悪いものだから退治しよう!なんて思わなくていいと思います。
執着にも
例えば
別れた恋人への執着とか
お金への執着とか
見た目への執着とか
色々あるじゃないですか。
その時は苦しいかもしれないんですが
あるんだから仕方ない。
「私、今この出来事に執着してるんだな」
これでいいと思うんです。
それで
もっと余裕があったら
どうして私はこれに執着したいのかな
って聞いてみてください。
どうしてって質問すると
答えって抽象化していきます。
例えば別れた恋人だったら
その人がよかった、という気持ちとかが出てくると思うんですが
他にももっと長く一緒にいたかったとか
もっとこうだったらうまくいったかもしれないとか
色々気持ちが出てくると思うんですが
で、その答えたちをもっと抽象化すると
結局は幸せになりたかったんだと思うんですよ。
つまり
執着って幸せっていう抽象的な概念にも繋がってるんです。
執着の本体って悪者でなくて
抽象化すると幸せです。
最初のあたりにお話ししたんですが
執着は具体的なものに起きやすいですよね。
具体にありすぎる時
視野が狭くなって集中しすぎちゃう。
集中しすぎるのも疲れますからね。
でも、その集中力があるから
人ってエネルギーを注げるし
研究なんてこともできるんです。
執着にだって
もらっているものがあるんですよね。
だから、結局は
執着っていますぐ何か変えなくてもいいし
気づくだけでいいと思います。
これが私の執着か!って。
気づくと執着は
どんどん抽象化して
結局は自分は幸せに向かってるんだとわかります。
幸せに向かうと結局はOKなのだとわかると
そのための具体的な手段って
こだわりがなくなっていくんですよね。
小は大を兼ねないけど
大は小を兼ねる感じです。
伝わりますか?
・・・
ということで本日は
執着には気づくだけでいい。
というお話をしました。
執着にもらっているエネルギーって大きいんですよね。
そのおかげで色々集中できたり成し遂げたりすることができます。
だから全然、執着したらいいし
そのおかげでストレスがかかったり苦しいとしても
今は、それは自分が望んでることなので別にいいと思うんですよね。
生きてるだけで自分に愛されてる私たちが
自分を不幸にしたいわけないじゃないですか。
ただ、執着している時
私たちは自分のエネルギーの
一部を使ってるだけなんです。
たった一部です。
だからなかなか抜け出せなかったり進まなかったりします。
そこに気づいて
もうちょっと大きく見てみると
実は執着よりもっと大きいエネルギーもありまして
それが、執着を抽象化した概念からくるものです。
どれだけドロドロに執着してるとしても
その執着の大元というか、目的は
愛とか幸せとかですよね。
なので、そっちのエネルギーを使ったほうが
一気に色々良くなると思いませんか?
まずは気づく。
それだけでいいです。
そうすることで、自分にとって
ちょうどいい時に
タイミングはきます。
手放さなきゃ!!ってなることも
また執着なので
気づいて放置、余裕があれば抽象化。
それでいいと思います。
ということで
今日は執着には気づくだけでいい
というお話をしました。
なんとなく伝わりますと嬉しいです。
よかったらコメント欄に
伝わった!難しかった!!ってコメント頂けましたら
嬉しいです。
それではありがとうございました。
御機嫌よう。
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