こちらのブログでは、平日毎朝8時に更新しているVoicyの文字起こしを投稿しています。
視覚優位の方や、文章の方が内容を落とし込みやすい方は、ぜひこちらも併せてご覧になってください^^
話し言葉に合わせて、改行が多くなっております。そしてラフでございます。ご了承くださいませ。
みなさまおはようございます。
佐藤ありさです。
このVoicyでは、
平日朝8時に自分と人をゆるく愛して
社会のいろんな枠組みから自由になっていくための
「愛するための哲学」を発信していきます。
今朝は、ちょっと眠かったんですよ〜
なので
8時のVoicyを上げませんでした。
そうすると
うちの母も、このVoicyを聴いてくれてるのですが、8時だけど今日はラジオないの?って聴いてくれて
楽しみにしてくれてる人がいるんだなぁと感じました。笑
なので本日はせっかくこうやって
リズムを壊しましたので
「壊れてしまったものに対してどう関わるか」
というテーマでお話ししたいと思います。
で、ですね
壊す、というテーマで同じように考えると
壊れていくものっていろいろありますよね。
例えば
人間関係もそうですし
信頼とか
恋愛関係とか
家族とか
計画とか
生活リズムとか
体調とか
人生とかですよね。
壊れていくものが多くなればなるほど
自暴自棄になったり
「自分の人生なんてもうダメだ!」って思って
自分そのものが壊れていく、というのは
何となく皆様想像ができたり、
経験をしたことがあるものだと思います。
では、「壊れてしまった」って自分が感じたものに対して
私たちはどう関わっていくといいでしょうか?
皆様は、自分が壊してしまったものや
壊れてしまったものを目の前にした時
どうしますか?
・・・
はい、これも別に一つの答えがあるわけでないので
「これが正解ですよ!」というのを言いたいわけではないのですが
ひとつ、私からお伝えしたいのは
壊れている、壊れていないを俯瞰してみた時に
善と悪に分けている自分がいたらそれに気づきたいなということです。
壊れているものを
頑張って引っ付けて直そうとしたり
壊れようと進んでいるものを
無理やり変えようとするのは
本当に愛なのでしょうか?
という問いを本日は皆様に伝えたいです。
どうしても私たちは美しいものが好きだから
完璧を目指します。
黄金比というのを、生まれながらに知っているんですね。
だから、自分が見た時に歪なものが
許せなくなります。
人間関係でもそうですよね。
何も語らない人を無理やり喋らせたり
決断させようとしたり
空白に対して不安になったりするんですよね。
それで待てなくて
お返事を急がせてしまう。
自分から見ると、
歪んだり壊れているものが
悪のように感じられて
善に寄せようとするんですね。
これが、自分の失敗を許せない。
とか
自己嫌悪とか
人の失敗が気になる、とかに
繋がっていくのかなって思います。
愛について少しお話したいんですが
愛の構成要素って4つあって
「知識、尊重、責任、配慮」だって
哲学者のエーリッヒ・フロムさんという方が話したんですね。
それで
「愛とは相手の自己実現をサポートすること」だって。
で、ですね
ここから考えると
例えば
恋人関係だったけど
なんらかの原因で離れて
関係が壊れてしまった
とか
壊れた関係のまま
苦しいけど
なんだかんだ一緒にいるという状況って
よくあると思うんですが
これって
関係を修復しようとすること自体が
相手を変えようとしているんですね。
変わっていくことや
壊れていくことを
悪だと捉えて
相手の変化を尊重できない
善悪を超えて、相手の自己実現をサポートできていない
そんな感じになります。
結局は
自分の中の善が
壊れたものを許せない、って
思ってるんですよね。
壊れる前の美しい状態が
ずっと好きで、恋しかったから。
その時に戻りたいのだと
感じるのかも知れません。
・・・
ここまでを聴いていただくと
壊れるとか
壊れないってなんなんだろうと
思われるかも知れません。
あと自分の中の善とか悪って
何なんだろうって。
いつもややこしいことを言って
ごめんなさいね。
でも
わたしの意見としては
壊れてしまったものへの関わり方として
「変わらないことを変えようとしないこと」
というのは
大事にしています。
人って変われますし
変わるんですよね。
でも、私たちが変えるわけじゃないです。
相手を変えるのは相手であって
自分が変えるものではないんですよね。
だからこそ
自分以外が変わることで
「壊れたものを直してほしい」
というのにこだわっている
執着しているって
気づいた時には
人間関係でも恋人関係でも
そこは無理に手を加えようとしなくても
いいんだと思っています。
起こっていく変化を
尊重する。
善悪を超えていくっていうのは
ひとつ、アイデアとして
加えてみてください。
自分から見ると
壊れていくように見えるものも
それは、
本来の姿なのかもしれません。
そう思うと
自分や誰かや、
今までの過去とかを
責める気持ちって
なくなっていきませんか?
ただただ「本来の姿に向かっている」だけだとしたら
どうだろう?
ということで
本日のテーマは
「壊れてしまったものに対してどう関わるか?」というお話をしました。
感じられたことがありましたら
ぜひコメントで教えてくださいませ。
それではありがとうございました
ごきげんよう。
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