こちらのブログでは、平日毎朝8時に更新しているVoicyの文字起こしを投稿しています。
視覚優位の方や、文章の方が内容を落とし込みやすい方は、ぜひこちらも併せてご覧になってください^^
話し言葉に合わせて、改行が多くなっております。そしてラフでございます。ご了承くださいませ。
みなさまおはようございます。
佐藤ありさです。
このVoicyでは、
平日朝8時に自分と人をゆるく愛して
社会のいろんな枠組みから自由になっていくための
「愛するための哲学」を発信していきます。
皆様、まこちんさんってご存知でしょうか
インスタやアメブロで
量子力学を宇宙一わかりやすく解説されているお方で
まこちんさまは最近本を出されたんですね。
それで
昨日、その出版記念公演に行って来たんですね。
まこちんさまは
もう7年くらい前から仲良くさせてもらっていて
ずっと見守らせていただいている方でした。
なのでなんか
すごく昨日は、感慨深かったです。
まこちんさんって
本当に、どんな時も謙虚でいらしたんですよね。
どんどん有名になって
フォロワーさん何万人、ってなっても
何も変わらなくて
いつも、みんなのおかげ、ありさちゃんのおかげ、って
言ってくださる方です。
「俺は好きなこと好きなだけ言ってるだけだから」って
いつも自然体でいて
ただただ研究を楽しんでいらっしゃる
その姿が本当に素敵で
たくさんの方の元気や勇気になっているんだなあと
じんわりした日曜日でした。
で、ですね。
今日お話ししたいことなんですが
私たちの人間関係について
量子力学と哲学で話したいなって思います。
量子力学は本当に
人生観がごろっと変わる学問なので
ぜひ今日も聴いてみてください。
・・・
まこちんさんが教えていらっしゃる
量子力学には
コペンハーゲン解釈というのがあるんですね
これは一言で言うと
「私たちが見ていないものは存在しない」というものですね。
観測していないものは
存在しないんです。
これ、哲学でいうデカルトの「我思う故に、我あり」にも
似ていますよね。
皆様、私たちって何でできているか
ご存知ですか?
はい。私たちの体を分解して
めっちゃ最小単位までいくと
「素粒子」というものでできてるんですが
量子力学って
その「素粒子」について扱う学問なんですね。
で、普段私たちが見ていない世界って
素粒子がただただふわふわ浮いていて
私たちが観測した時に
「波束が収縮する」って言うんですが
空間の粒子がギュッて固まって物質になっていくんです。
っていう理論があるんですね。
面白いですよね。
だから、物理学者の中には
「空にある月は、見ていない時には存在しない」
って話される方もいます。
あれだけ大きい存在も、
見ていない時は存在しないって
すごくロマンチックですよね。
まぁそんな理論があります。
で、ですね
本日のテーマ
「雑に扱ってくる人の正体」をお話ししたいんですが
皆様、
このラジオを聴いてくださる方は
愛について考えようとしてる方が
多いと思うんですよ。
となると、愛に向かう生き方の逆っぽい生き方って
例えば「人を雑に扱う」とかかなと思って
この表現にしました。
皆様、雑に扱ってくる人
周りにいますか?
身近な方とか恋人の方ですね。
もしいらっしゃいましたらぜひ思い浮かべて欲しいのです。
その人ってなんであなたを
雑に扱ってくるのだと思いますか?
よくある恋愛理論だと
「それはあなたの優先順位が低いからだ」、とか
心理学だと
「自分のことを大切にしていないからその投影だよ」、と言われたりします。
それもいいんですが
でも、今日は量子力学なので
コペンハーゲン解釈で考えてみたいんですね。
で、そこから考えると
雑に扱ってくる人自体は
その人のことを思い浮かべなければ存在しないんですが
でも、私たちが
「そういう人がいる」って思うから存在する。
これはつまり
私たちが「自分の意思」で
雑に扱ってくれる相手を
観測してるわけですよね。
その人を自分から出現させているんですよね。
波束の収縮をさせているわけです。
で、ですね
ここで哲学です。
哲学には「形而上学」っていう学問があります。
これは、「なぜその原因はその結果を生むか」
っていう物事のそもそもを考えていく学問なんですね。
皆様、ついてきてますか?
まだこれからです。
で、ですね
「雑に扱ってくれる人は自分で出現させている」っていうのが
今分かったと思うんですが
じゃあ、なぜ出現させたか?ってのを形而上学で
考えますよ。
ってなると
今の自分にとって
その人も必要な人だからなんですよ。
たとえどれだけ酷くて
嫌な思いをさせてくれる人だとしても
何かその人から学びたいとか
体験したいと思ってやってるんですよね。
私たちの人生には
無駄なものを与えられていないので。
じゃあ、どんなものを
学びたいと思っているかというと
例えばですね
「人のことをもっと雑に扱っていいよ。」
ってことかもしれません。
これ、どうですか?
「もっと、適当に扱っていいんですよ。」
って。
多分、これを聞いた方の多くは
「それはあかんやろ」って思うかもしれません
でも、そう思う理由は
あなたは
今まで人のことを大事にして来たからですよね?
人のことを大事にしないのは
「悪」だと思ったし
人のこと大事にするのが
「愛」だと思ったんですよね。
そこを、哲学して
疑ってみて欲しいんです。
・・・
はい、もし
人のことを雑に適当に扱っていいとしたら
どうする?という爆弾発言をしました。
ここで伝えたいのはもちろん
「今日から人を雑に扱いましょう!!」
という意味ではないですね。
もし、
「人を愛することと、人を愛さないことが同等に価値があるものだったら」
どうしますか?
ということです。
愛することが上で
愛さないことが下なのではなくて
「どちらも等しく価値があることだったら」
どうしますか?
これ、考えてみてほしいんです。
で、もし
あなたの好きな人とか
大切な人が
あなたを雑に扱ったとして
あなたはその人を
嫌いになりますか?
多分、嫌いになれないから
今も近くにいるし
悩んでると思うんですね。
一発アウトでさよならできたら
多分もう観測しないんで。
でも、観測し続けているというのは
どうであってもその人のことが好きだし
そこからの学びがあるんです。
逆にいうと
人を大事にしなくても
「あなたはそのままでも愛されるんだよ」って
目の前のその悩ましい人に
教えてもらっているのかもしれませんね。
・・・・
いかがでしたか?
今日はなかなかパンチがある内容だったかもしれません。
あなたは天才ですよね
となると
あなたの世界に登場する
雑に扱ってくる人の正体も
天才だったという話です。
私たちはどちらにせよ
その恩恵を受け続けています。
雑に扱ってくる人とか
大切にしてくれない人とか
その人を悪だと捉えて
自分が犠牲者のように感じてしまうものですが
その人を出現させているのが自分だったら
必ずそこにはメッセージがあるんですね。
エゴは両極に宿ります。
愛に向かう自分が善で
そうではない人を
悪だと捉えていませんか?
もしそうだとしたら、
一度考えてみて欲しいんです。
愛することと
愛さないことは
どちらも同等に価値がある。
2極から、自由になっていきましょう、
というお話をしてみました。
それではありがとうございました。
ごきげんよう。
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