こちらのブログでは、平日毎朝8時に更新しているVoicyの文字起こしを投稿しています。
視覚優位の方や、文章の方が内容を落とし込みやすい方は、ぜひこちらも併せてご覧になってください^^
話し言葉に合わせて、改行が多くなっております。そしてラフでございます。ご了承くださいませ。
みなさまおはようございます
佐藤ありさです。
このVoicyでは、
平日朝8時に自分と人をゆるく愛して
社会のいろんな枠組みから自由になっていくための
「愛するための哲学」を発信していきます。
では今日のテーマなんですが
「才能は弱さから生まれる」というお話をします。
自分や人を愛する能力を育てていく過程で
自分が普段感じている善悪の判断に
気づいていくというのをやっていきたいんですが
皆様って強い人ですか?
弱い人ですか?
これ、答えはどちらでもいいのですが
生きづらいと感じる時って
白黒つけようとする時なんですよね。
強さが善、弱さが悪、って捉えている時です。
逆も然りで強さが悪っていう文化もありますけどね。
自分のことを愛していない時って
弱さというのが
許せないんですよね。
だからみんな強くなって
その痛みから逃れようとする。
でも、社会的な強さと弱さって
つまりなんなんですか?ってなった時
即答できますでしょうか?
多分ちょっとむずいんですよね。
ただ、とても思うのは
私の周りの天才たちって
みんな弱さという一種の特徴を抱えていて
それを才能に転換しています。
そうなると、「弱さ」とは更になんなんだ?って
なるんですよね。
なので今日やっていきたいのは
弱さとは何か?の哲学です。
では始めていきます。
このお話をするために
ちょっと皆様に問いを出したいんですが
今って「言語化」が流行ってるじゃないですか。
言語化っていうのは感覚を理論的に整理して
相手にわかるように言葉にして説明することですね。
なんかこういうのが流行ると
言語化ができない人はダメだ、
会議で発言しない人はダメだ、みたいな価値観あるじゃないんですか。
あれはなんでダメなんだと思いますか?
考えてみて下さい。
あれは
「ダメだと思う人が多いから」ダメとされてるんですよね。
というのも
今の社会って、左脳が発達していて
言語化が得意な人が多いからなんです。
私たちは言葉で意思疎通し合うのが当たり前だっていう
無意識の前提があるんですね。
今が流れとして
言語化が強いとする社会なんです。
だから言葉で意思疎通するのが得意じゃない人は
そこで相対的に弱者になってしまいます。
ただ、言語化が元々得意な人がいれば
逆に視覚化が得意な人もいまして
それがビジュアルシンカーっていって
視覚思考者っていうんですが
視覚思考者の人は右脳をベースに映像で物事を考えてるので
頭に浮かんだビジョンを言葉に変換するのが少し遅いんですよ。
別にその場で発言はしないけど、頭の中で黙って考えていて
会議が終わった後にものすごいアイデアを出すとか
物事を映像化して自分の頭で見てるので
言葉だけのやり取りでは見つけられなかった問題を見つけていたりします。
でも、自分が視覚思考者だって知らないから、
みんなみたいに話せないとか
コンプレックスを抱えて、自分の悪い弱さだと思ってしまうんです。
本当はただの特徴なんですけどね。
例えばここで
ビジュアルシンカータイプの画家を集めて会議をしたとして
みんなが絵を描いて意思疎通できてクリエイティブしてたら
言語化してなくてもそれはそれで別にいいじゃないですか。
こんな感じで
強い、弱いってなんなのか
定義をすると
能力の高さ低さではなくて
自分の才能をその場にいかせているかどうか
に再定義ができるんですね。
ということで
最近流行りの「言語化」で例を出しましたけど
どこに行っても
誰と付き合っていても
「自分を認めない」ということが起きると
生きづらさは出てきますので
自分の強さ弱さを悪いものと捉えるのではなく
特徴の一つとして捉えてみてほしいんです。
・・・
ここまでいかがでしたか?
今、言語化の例え話をするために
言語思考者と視覚思考者のお話を出しましたが
人類がこの二つに分かれるという意味ではないので
そこはご了承ください。
で、ですね
私が今の、自分と人をゆるく愛していくという
能力を育てていく中で
この数年間
自分の特徴を心底認める、という活動を
やってきました。
例えば私は
一般社会の「普通」と比べたら
ものすごく弱さを抱えてるんですよね。
いっぱいあるんですが
例えば
たくさんの人に会えない、っていう弱さがあって
それはもう認めました。
私元々は営業をしていて
昔は何百人の前でセミナーとかをしていた時期もあったんですね。
それも楽しかったんですが
疲れて生活に支障がでるってことにようやく気づいて
それを自分にたくさんさせていく働き方を辞めました。
オンラインでお仕事をするようになってからは
zoomで打ち合わせをしたりするようになったのですが
今はそれもやめて、電話やメッセージにしました。
自分の弱さと戦っている状態だと
たくさんの人に会うことこそが
社会的な価値になったり、事業の成績を伸ばしたり
多くの人に求められる正しいことだって
思っちゃうんです。
逆にそれを失って
たくさんの人と関わらないことを選ぶと
自分は求められなくなるし
お仕事も上手くいかないし
色々困ってしまうんじゃないか?っていう
恐れが出てくるんですよね。
でも実際それって
弱さへの恐れが私に見せている幻想なんです。
なので
自分の弱さを恐れるのをやめたんですね。
お手上げする。
はい、私はこういうタイプです。
じゃあその上で快適な生活をするために
どうしたらいいのか?を前向きに考えることができます。
そうすると
人には会わないけど発信はできるとか
インスタライブはしないけどVoicyはできるとか
新しい動き方が見えてきます。
こうやって、自分の弱さを克服すべき悪だとするんじゃなくて
特徴として認めると
今までになかった生き方が見えてきて
「第三のアイデア」や「第四のアイデア」を
出していくことができるんですね。
自分が、「これはダメだ」
「これでは現代社会で生きていけない」、って決めてるから
考えることをやめてしまうんです。
みんなやってるから、とか
常識だから、というのは
ぜひ一度壊してみてほしいんですよね。
どうして「普通」に生きることが
常識だとされているかというと
その方が人を束ねやすいからです。
でも、そこに束ねられることが
しんどいって自覚してしまったなら
それも才能じゃないですか。
だから
見つけた才能はとことん伸ばす。
善悪を自分で決めてたら、才能は見逃してしまうんです。
そんな感じでやっていくと
もっとゆるく、自分や人のことを愛していけるようになります。
まずは、自分が
善悪の向こう側に行ってみましょう。
自分との和解です。
そうすると
周りの人たちの才能をたくさん見つけられるようになりますし
ありのままを尊敬して愛する、ということに
繋がっていくと思いますよ。
はい、では今回は
才能は弱さから生まれるというお話をしました。
みんなで天才になっていきましょう。
それではありがとうございました。
ごきげんよう。
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