哲学って難解。でも、私が活動を通してやっていきたいことって、哲学をもっと身近にして、生活に活かすことなんですよね。

「偉い人が話している難しい話」というイメージの哲学を、「思想の強い友人の話」のレベルにしたいなと思っています。

 

ということで今回、「こんな本があったら私買いたいなー」と思える24人の哲学者たちの思想まとめを自作しました。

  • 有名哲学者を時系列にして
  • 思想を中学生にもわかる一言でまとめて
  • その思想が生まれた背景もわかる

そんな記事にしましたので、ぜひ読んでいってください。

(すみません、全体で1万文字くらいの大ボリュームになってしまいました…!!!)

 

哲学者たちの全体像が見えることで、かなり学びやすくなっていると思いますので、お気に入りの哲学者を見つけてくださいね!

お気に入りの哲学者が見つかりましたら、書籍などで深めていくのもいいと思います。

何名かは、私のおすすめ本をご紹介しております。

 

古代の哲学

哲学の土台。古代はこの3人が有名です。(この3人より前にもタレスやピタゴラスなどの哲学者はいますが、今回は割愛!)

ソクラテス(紀元前470〜399年・ギリシャ)

→「本当に賢い人は、自分が「わかっていない」って気づいている人のことです」


ソクラテスは「無知の知」を説いた哲学者です。

彼は「自分はなにも知らない」と認めるところから、ほんとうの知恵が始まると考えました。

人々に問いかける対話法を使って、自分でも気づいていなかった思い込みや矛盾を引き出しました。

その態度が当時の権力者には嫌われ、最終的には死刑にされますが、「知ること」と「生きること」を一致させた生涯は、今も哲学の原点とされています。

 

 

プラトン(紀元前427〜347年・ギリシャ)

→「今見えてる世界は、本当の世界の偽物かもしれない」


プラトンは、ソクラテスの弟子であり、理想の世界=「イデアの世界」の存在を説きました。

私たちが五感で見たり触れたりできる世界は、本当のリアルではなく、イデアという“本質的なかたち”の影にすぎないとしたのです。

たとえば「正義」や「美しさ」といった目に見えないものこそが本物だという考え方は、今の哲学、教育、芸術にまで深く影響を与えています。

 

アリストテレス(紀元前384〜322年・ギリシャ)

→「人間って、考える力があるから人間なんだよ」


アリストテレスはプラトンの弟子でしたが、イデア(理想)の世界よりも「この現実の世界」をしっかり見て考えることを重視しました。

自然や社会、倫理から芸術まで、あらゆるものを分類し、観察し、「なぜそうなるのか?」を探りました。

人間の特徴は“ロゴス(理性)”にあると考え、考えること、選ぶことが人間らしさだと説きました。

彼の考えは科学や論理学の土台にもなっています。

 

中世キリスト教哲学

キリスト教の存在感が哲学に大きく影響しています。

アウグスティヌス(354〜430年・ローマ帝国)

→「わからないことがあっても、まずは信じてみるのが大事です」


アウグスティヌスは、古代から中世へと哲学を繋げる架け橋のような存在です。

若いころはいろいろな思想に手を出しましたが、のちにキリスト教を深く信仰し、「信じることで理解が始まる(credo ut intelligam)」という言葉を残しました。

人は理性だけでは真理にたどりつけない。

根拠がどうだという話よりも、まず信じてみることで、世界の意味が見えてくる──心の重要性を説いた彼の思想は、のちの西洋の思想に大きく影響を与えました。

 

 

トマス・アクィナス(1225〜1274年・イタリア)

→「神さまのことも、ちゃんと考えればわかるかもしれない」


アクィナスは、「信仰」と「理性」はぶつかるものではなく、むしろ手を取り合えるものだと考えました。

神の存在や世界の成り立ちについて、ギリシャ哲学(特にアリストテレス)を取り入れながら、論理的に説明しようとしたのです。

彼のすごいところは、ただ「信じなさい」と言うのではなく、「なぜそう考えるのか」を地道に説明しようとしたところです。

紀元前6世紀くらいに、哲学と宗教は分かれ始めたものの、このあたりにまた融合し始めました。

トマスは宗教と哲学のあいだに橋をかけた、“考える信仰者”でした。

 

近世ヨーロッパ哲学

「わかるもの」と「わからないもの」が明確になり始めます。科学や理性が重視される時代背景があります。

デカルト(1596〜1650年・フランス)

→「疑う自分がいるなら、たしかに自分はここにいる!」

 

 デカルトは、すべてを一度疑ってみることで、本当に確かなものを見つけようとした哲学者です。

「もしかしたら世界は全部嘘かもしれない。でも“考えてる自分”だけは確かにいる」──この有名な結論が「我思う、ゆえに我あり」です。

この考え方は、人間の理性(考える力)を出発点とする近代哲学のスタートになりました。

「なんでも疑っていい。でも、そこからちゃんと考えよう」という姿勢は、今の科学や学問にもつながっています。

 

スピノザ(1632〜1677年・オランダ)

→「悲しみから自由になるには、世界の仕組みを知ればいい」


スピノザは、「神は自然そのもの」だと考えました。

つまり、空も木も人間も感情も、すべてが同じ一つの“神=自然”の現れだということです。

彼にとって神とは、「天にいる誰か」ではなく、この世界に広がる“法則”や“存在そのもの”でした。

 

私たちは、物事を“よい・悪い”に分けて善悪を判断して苦しみますが、それは物事の原因をよく知らないからだとスピノザは言いました。

自然=世界=神の仕組みを知れば、悲しまなくていい、という考え方です。

神は奇跡を起こさないし、守ってくれないし、罰も与えない存在。(自然そのものだから人格がない)

 

なので私たちが自由に生きるには、一時の感情に流されず、自然の仕組みを知り、その知性=理性にしたがって生きるべきだと説いたんですよね。

 

神様といえば裁くもの、祈るものというキリスト教的考え方が強い時代なので、当時は危険思想として扱われて、生前は無名でした。

しかし死後に評価されて、アインシュタイン博士などもスピノザの思想に影響を受けています。

とても人気が高い哲学者。

 

ジョン・ロック(1632〜1704年・イギリス)

→「人の心って、生まれた時は真っ白なノートみたいな感じなんだよね」


ロックは、「人間の知識はぜんぶ経験からできている」と考えました。

私たちは生まれたとき、何の知識も持っていないけれど、見たり聞いたり感じたりするうちに、少しずつ知識を得ていくのです。

この「心は白紙(タブラ・ラサ)」という考えは、教育のあり方や人間の平等についても大きな影響を与えました。

「人はみんな同じように始まる」──この思想は、近代の民主主義や人権思想の土台にもなっています。

 

ライプニッツ(1646〜1716年・ドイツ)

→「それでもこの世界は神が“あえて選んだ”、最善の世界だ」

 

ライプニッツは、「この世界は神が無限の選択肢の中から“あえて選んだ”最善の世界だ」と考えました。

出来事は最善だという考え方です。たとえ悪や苦しみがあっても、それにはちゃんと意味がある。

 

色々あるけれど、全体として見れば、この世界は最もよくできたバランスのとれた世界なのだ、というわけです。

これは「神は全知全能で善い存在である」という信念から導かれた論理的な結論でした。

この“最善説”は、楽観的なだけではなく、「悪にも意味を見出そうとする深い信頼」の哲学でもあります。

 

18世紀後半〜20世紀後半の哲学者

ここから哲学はさらに発展していきます。哲学の革命時カントもこの時代です。

デイヴィッド・ヒューム(1711〜1776年・スコットランド)

→「AのあとにBが起きるとする。でもAが必ずしも“原因”って言いきれる?」

 

ヒュームは、「人は“原因と結果”をどうやって知るのか?」を問い直しました。

たとえば「火に手を近づけると熱い」という経験があっても、それは「いつもそうだった」だけであって、「次もそうなる」とは本当は言い切れない。

つまり、私たちは“思い込み”や“習慣”を「真理」と信じてしまっているだけかもしれない──という、かなりドキッとする考え方です。彼の思想は、カントや現代の科学哲学にも大きな影響を与えました。

 

イマヌエル・カント(1724〜1804年・ドイツ)

→「人は“世界のほんとうの姿”をそのまま見ることはできない」


カントは、ヒュームの考えに衝撃を受け、「人はどうやって“知る”のか」を徹底的に考え直しました。

その結果、「人は“世界そのもの”を知っているのではなく、自分の“頭の中の枠組み”を通して見ているだけだ」と考えました。

たとえば「時間」や「空間」も、自分たちの認識のなかにある“見え方の枠”なのです。

 

つまり、コップが目の前にあるから私たちはコップを見ているのではなくて、私たちがコップが目の前にあると思って見ているから、コップは目の前にあるということです。

逆なのです。

 

この考え方は「コペルニクス的転回」と呼ばれ、近代哲学を一気に深めました。

(これは天動説・地動説をひっくり返した天文学者のコペルニクスを比喩してカントが語った説です。なのでコペルニクス的転回と名付けられました)

 

カント哲学はかなり私も面白いなと思っていて、深めるのであればこの解説書がおすすめです。

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ゲオルク・ヘーゲル(1770〜1831年・ドイツ)

→「歴史とは、人類がだんだん成長していくドラマなんだ」


自由について考えたい方は、ヘーゲルの哲学を見てみてください。

ヘーゲルは、世界や歴史を「精神(こころ)」の成長としてとらえました。

 

歴史はバラバラな事件の集まりではなく、「自由とはなにか?」という問いに向かって、失敗や対立をくり返しながら進んでいく壮大な物語だと考えたのです。

 

  • テーゼ(主張):ある立場がある

  • アンチテーゼ(反対):それに反対する立場が現れる

  • ジンテーゼ(統合):両方の矛盾を乗り越えた、新しい立場が生まれる

これはヘーゲルの思想です。

対立した意見からより良い考えは生まれる、というこの成長のしくみを「弁証法」と呼びました。

反対どうしの意見や立場がぶつかりあうからこそ、新しい理解が生まれていくわけですね。

歴史の中で登場人物(国家、宗教、芸術、哲学)が入れ替わりながら、ドラマのように、人間の精神は成熟していく。

「すぐにはわからないけど、ちゃんと意味がある」という、希望の哲学を持っていた哲学者です。

 

アルトゥル・ショーペンハウアー(1788〜1860年・ドイツ)

→「人はいつも何かをほしがってるから、苦しいんだよ」

 ショーペンハウアーは、「世界は“意志”でできている」と考えました。

この“意志”とは、理性や理屈ではない、もっと深いレベルの「生きたい」「手に入れたい」という本能的な激しい欲望の力です。

だから世界は本質的に苦しみに満ちている。

 

ショーペンハウアーが言うには

  • 欲望がある
     ↓

  • 手に入れても、すぐに飽きる
     ↓

  • また次のものが欲しくなる
     ↓

  • ずっと満たされない
     ↓

  • 苦しみは終わらない

という無限ループが、私たちの人生の構造そのものだということです。

「〜たい。」がある以上、人間はいつも欠けていて、満たされず、苦しんでいる。

ある意味諦めの境地です。

しかし全てを諦めるのではなくて、音楽や芸術、思いやりの中にある「欲をこえた静けさ」にこそ、「良さ」や救いを見出そうとしました。

 

「世界は苦しみでできている。だからこそ、やさしさと沈黙に意味がある」

ショーペンハウアーは、苦しみに寄り添う、孤独でやさしい哲学者です。

 

セーレン・キルケゴール(1813〜1855年・デンマーク)

→「不安だとしても自分で選ぶ、それが本当の生き方だ」

 キルケゴールは、世界のしくみがどうとかよりも「自分が一人の人間としてどう生きるか?」を真剣に問いつづけました。

 

人は選びつづけなければならない。

でも、どんな選択にも“絶対の正解”なんてない。

 

だからこそ人は、不安のなかで、自分で選びぬく勇気を必要としますよね。

外から与えられた答えではなく、内なる問いに、自分で「はい」と言うこと。

 

キルケゴールは恋愛についてもたくさんの言葉を残しているので、気になる方は調べてみてください。

この本に、キルケゴールのお話がしっかり載っています。

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キルケゴールは、生きることの孤独と意味を、世界や神ではなく、自分の心に見出した哲学者です。

 

カール・マルクス(1818〜1883年・ドイツ)

→「世の中がおかしいと思ったら、変えようよ!」


社会や経済といえば、マルクス。

マルクスは、哲学を“机の上の考えごと”では終わらせませんでした。

彼は「人間は社会の中で生きていて、社会の仕組みが人の生き方を決めてしまう」と考えました。

だからこそ、ただ「世界を説明する」のではなく、「変える」ことこそが哲学の役目だと言い切ります。

貧富の差や働き方の不公平を見すえたマルクスの思想は、今も世界中の思想や政治に影響を与えています。

 

フリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900年・ドイツ)

→「神さまはいない。だから、自分で生き方をきめよう」

 ニーチェは、「神は死んだ」と宣言した哲学者として有名です。(ちなみにそのフレーズはニーチェの著書、「ツァラトゥストラかく語りき」の中の一説です

それは「もう絶対的な正しさ(道徳・宗教・伝統)には頼れない」という意味であり、人間はこれから自分で価値をつくって生きていかなければならないという、重いメッセージでした。

キリスト教の社会でその発言をする、というのは、かなり社会に衝撃を与えました。

 

ニーチェは、人がただの“群れ”になってしまうことを恐れ、「強く、美しく、誇りをもって自分らしく生きること」を説きました。その言葉は、今も多くの人をふるいたたせる力を持っています。

他にもニーチェは「ルサンチマン」(嫉妬)や「ニヒリズム」(虚無主義)などで有名なので、気になる方は深めてみてくださいね。

 

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ジークムント・フロイト(1856〜1939年・オーストリア)

→「人って、自分の心の奥のこと、実はよく知らないんだ」

今では考え方が広まり始めた「無意識」をより深めた人です。(無意識を最初に提唱したわけではないけれど、無意識を心理学の中心に置いた最初の人)

フロイトは、「人間の行動は“無意識”によって動かされている」と言いました。

私たちは、自分の気持ちや行動を“ちゃんとわかってる”と思いがちです。

でも、自分の気持ちというのは自分の理性がコントロールしているのではなく、実はその裏にある“見たくない欲望”や“昔の記憶”が大きく影響しているのです。

この考え方は、心理学の世界だけでなく、文学・芸術・哲学にも大きな衝撃を与えました。

「人間の心の地下室」を見つめようとした、はじめての本格的な探究者と言えます。

 

マルティン・ハイデガー(1889〜1976年・ドイツ)

→「いつか死ぬことを怖がりながら生きるから、本当に自分らしく生きられるんだ」


ハイデガーは、「存在ってなに?」という問いを生涯を通じて問うた哲学者です。

彼は、人間のことを「存在を問う存在」と呼びました。

私たちは「生きるって何なんだろう?」と自分に問いかけながら生きています。

その問いの根にあるのが、「いつか死ぬ」という事実です。

死は怖い。だけど、その怖さを正面から見つめることでしか、自分の生き方をほんとうに引き受けることはできない。

ハイデガーは、いつか来る死を感じながら生きることこそ、本来の生き方なんだと教えてくれます。

 

ハイデガーは飲茶さんが書いたこの小説がめちゃくちゃいいです。

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西田幾多郎(1870〜1945年・日本)

→「“わたし”と“世界”の区別がない体験こそ、本当の知」

 西田幾多郎は、日本初の本格的な哲学者として知られています。

彼の中心の考えは「純粋経験」

それは、“自分が見ている”や“考えている”が分かれる前の、ただそのままに体験している状態のことです。

たとえば、美しい風景を前にしたとき、「わたし」と「自然」が分かれていないような感じ、、、そこにこそ、ほんとうの「知」や「真実」がある、と彼は言いました。

西洋哲学を深く学びながらも、日本的な感性の中からまったく新しい哲学を生み出した人です。

 

西田哲学は、私にとっては「愛の哲学」です。

実は西田哲学は、子どもや配偶者、大切な人を亡くした悲しみから生まれました。

本当の悲しみは、涙さえ出ない。

そんな静かな悲しみが、西田哲学の根本にあります。

 

西田哲学は難解と言われていて、原本を読むのはカントくらい難しいです。

この解説書がおすすめ。

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九鬼周造(1888〜1941年・日本)

→「“粋”っていう日本ならではのカッコよさがある」


九鬼周造は、「いき(粋)」という日本独特の美意識に哲学的な意味を与えようとしました。

「いき」は、ただオシャレというよりも、「あっさりしてるけど、奥に深い」「さりげない中に色気や誇りがある」といった、複雑な日本人の美的感覚をあらわしています。

彼は、西洋の哲学に精通しながらも、「日本人ならではの生き方や感じ方」そのものを哲学にできると信じていました。

哲学とは、頭で考えるだけじゃなく、“感じ方”にも宿るということを教えてくれます。

 

日本的な美意識については、おすすめできる本が何冊かあります。

 

いきの構造:九鬼周造著

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↑こちらは九鬼さんが書いています

 

↓日本人の美意識について面白かった本

侘び然び幽玄の心、西洋哲学を超える上位意識

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日本人の美意識

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ジャン=ポール・サルトル(1905〜1980年・フランス)

→「人は、“こうなる”んじゃなくて、“こうなる”って決めてるんだよ」

サルトルは、「人間は自由という刑に処せられている」と言った人です。最近私もお気に入りなフレーズ。

つまり、人間にはあらかじめ決められた意味なんてないと考えました。

 

「自分はこういう人間です」と言えるようになるのは、自分でそう生きようと“選んだ”ときだけだ、と。

つまり、人は“自由”なのです。

ものすごく自由で、だからこそ、逃げずに選び、行動する責任がある。

彼の哲学は「自由って、うれしいだけじゃなく、ちょっとこわいものだ」と教えてくれます。

本当の生き方は、いつも“自分でつくるもの”だと言うことです。

 

エマニュエル・レヴィナス(1906〜1995年・リトアニア生まれ→フランス)

→「目の前の人こそ、本当に大事にしなきゃいけない相手だよ」


レヴィナスは、「他者とはなにか?」を徹底的に考えた哲学者です。倫理的な哲学者。

彼は言いました。

“他者の顔”は、私に「近づくな」「傷つけるな」と命じてくる。

そこにはルールも言葉もいらない。目の前の人の存在そのものが、私に責任を生じさせる。

この考えは、「目の前のことが正しいかどうか」よりも、「目の前の人の苦しさに応えること」のほうが優先である、意味がある、という倫理を説いています。

どうしてレヴィナスはこう考えたのか。

その理由は、レヴィナスはユダヤ系で、ナチス占領下のフランスで家族の多くを失ったからです。

「理性や哲学がこんなにも進んでいたヨーロッパで、なぜ人が人を大量に殺せたのか?」

それは、人が「人間とは何か」を意味や価値で考えすぎて、“目の前の人間”を見なくなっていたからではないか?

そうして彼は、哲学の中心を「私とは?」よりも、「他者とは?」へと取り戻そうとしたのです。

 

レヴィナスは、愛するための哲学を考えるためにも、ものすごく大切な考え方を持っている哲学者だと思います。

 

ミシェル・フーコー(1926〜1984年・フランス)

→「“本当のこと”って、実はえらい人が作ってるのかも」


ものすごく、今の社会を表していると思います。

フーコーは、病院・学校・監獄・性といった、さまざまな“ふつう”の場所やテーマを調べながら、「“あたりまえ”のルールや考え方って、誰が決めてるの?」という問いを投げかけました。

その答えは、「真理は中立じゃない。 それはいつも“力”と関係している」

つまり、“正しさ”や“常識”のかげには、人をコントロールするしくみ=権力がひそんでいる

フーコーの哲学は、世界を“うたがう目”をくれます。そして「気づく」ことこそが自由の第一歩だと、私たちに教えてくれます。

 

ジャック・デリダ(1930〜2004年・フランス)

→「言葉の意味って、よく見るといつもズレてるよね」


デリダは、私たちが「わかったつもり」で使っている言葉そのものを揺さぶった哲学者です。

言葉は一つの意味をきれいに伝えるものじゃなくて、常に少しズレながら、別の意味を呼び出しつづけるもの。

この考え方を「脱構築(だつこうちく)」と呼びます。

それは壊すことではなく、「固定された意味や価値をいったんゆるめて、もっと自由に考えられるようにする」方法です。

デリダは、わからなさやズレの中にも意味があるんだよ、と教えてくれます。

 

ヴィトゲンシュタインやソシュールの理論を併せて調べてみると、面白いと思います。

(ヴィトゲンシュタインは「私たちは言葉で世界を見ている」と言いましたし、ソシュールは意味と言葉(音)の関係を説いた人です。)

 

 

一応ここまでが24名の哲学者になりましたが、いかがでしたか?

まだまだ押さえておきたい哲学者は他にもいますね…!!

共感できる哲学者を深めていくと、また面白い気づきがあると思いますので、ぜひ調べてみてください^^

 

哲学をする、と言うのは歴史も地域も違う友人が増えていくということ。

あんなことを言っている友人もいるし、こんなことを言う友人もいるなーという感覚で哲学者の思想に関わると、案外難しくなかったりします。

哲学者友人化計画、かなりおすすめです。

では、本日も読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

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