批判は創造、否定は破壊
この記事では、哲学思考を身につけると、人間関係が円滑になるというお話をしていきます。
取り上げるテーマは「批判と否定」です。
哲学において、「批判的態度をとりましょう」というのが基本姿勢としてあります。
皆様は、「批判的」にどのようなイメージがありますでしょうか?
- なんだか強そうなイメージ
- 詰められそうなイメージ
- 怖そう
- 否定してきそう
「やたらと批判的な人」「なんでそんなに批判するの?」という表現があるように、もしかするとネガティブなイメージがあるかもしれません。
しかし、実はこれらは批判ではなくて「否定」なんですよね。
批判というのは、物事の新しい側面を見つけたり、考えを深めたりするのにとても便利な視点です。
批判的思考とは、「ある考えについて前提となる事実を明らかにしながら、多角的・論理的に考える思考法」のことを指します。「クリティカル = 批判的」というと否定的な印象を受ける用語ですが、実際にはそうではありません。「論理を支える事実」「矛盾する事実はないか」などの事実ベースの思考法となります。
つまり、客観的視点を持ち、多角的に見ながら良し悪しの判断をする、ということですね。
専門用語を使うと少し難しく見えますが、批判的思考を持つことで
- 物事の本質を見極められる
- 矛盾を見つける
- 物事の新しい側面を見つけられる
- 疑問を持ち、質問力を上げる
- 状況をより善く改善する糸口が見つかる
私たちはこのようなギフトを得ることができますので、今回はぜひこの「批判的思考」を深く知っていただきたいなと思います。
これを人間関係や生活に落とし込むと
- 苦手な人が減る
- 問題の原因がわかる
- 同じ悩みを繰り返さなくなる
- 過去の嫌な出来事が消えていく
- 問題が問題でなくなる
- 人間関係のバランスを調整できる
批判は創造。
解決できることがたくさんありますので、楽しみにしてくださいね。
ネガティブな意見を言うのが怖かった
皆様は意見をはっきり言うことができますでしょうか?
きっと得意な人もいれば、苦手な方もいらっしゃると思います。
私は、「ポジティブな意見は言えるけど、断ったり、指摘したり、ネガティブな意見はあまり言いたくない」というタイプでした。
なぜかと言うと、
その奥には、
「跳ね返ってきたものを自分が引き受けるのが怖い」
という臆病さがあったんですね。
なので、「批判」だなんてもってのほかですよね。
そしてネガティブな意見をどんどん言ってくる人が苦手でした。
なんだか自分が嫌われているようで、その重圧が苦しい。
だからこそ「話し合い」と言うのが超苦手だったんですよね。
でも、これってなんだか妙じゃないですか?
「肯定」はオッケーで、「それ以外」はしんどい。
これだと問題解決はできませんし、必要なコミュニケーションが取れませんよね。
打つ手が少なすぎるんです。
うまくいかない時ってみんな戦ってるの?メンタル強くない?と思っていました。
つまり、以前の私の脳内ボキャブラリーの中では、「批判」と「否定」が同じ意味にあったわけです。
こういう背景があったのも、人間関係の柔軟性を欠いてしまっていた原因なのだなと今は思います。
では、批判と否定はどのように違うのでしょうか?
批判と否定の違い
一言で言うと、批判は客観的視点での判断、否定は主観的な拒絶です。
さらに言うと、批判は理性的、否定は感情的です。
批判の目的は前進です。
そのテーマを客観的に見た時にどうであるかの判断を、専門的な分析力で熟成させて、発表します。
とても理性的。だからこそ、問題解決や改善をすることができるんですね。
一方で否定については、個人的な感情のこもった拒絶です。
例えばバズっているリールやスレッズのコメント欄を見ていると、人々の理性と感情がカオスですよね。
テーマに対して「批判」をしている人もいれば、「否定」をしている人もいることがわかると思います。
議論の中で否定をしてしまう人にはある特徴があります。
- 自分の意見が正しいと思っている
- 自分に自信がないので優位に立ちたい
- 人のせいにして責任を取れない
- 感情的になっている
否定によって人を攻撃してしまう人は、自分に自信がないのです。
自分が正しく優位にありたいから、感情的に攻撃性を出して、勢いで勝とうとしてしまいます。
その場合、議論にならないし対話をすることができないんですよね。
これがつまり、「批判は創造し、否定は破壊を生む」
ということになります。
より善く批判する方法
哲学対話をする時には、批判的思考をしていきます。
方法としては
- 定義・意味を問い直す
- 論理が飛躍していないか問う
- 慎重に一般化する
- 隠れた前提や理由、判断基準を疑う
- 思考実験を行う
- アナロジー思考する
こんな方法があります。一つずつ見ていきますね。
①定義・意味を問い直す
「そもそも〇〇とは何か」「そもそも〇〇する意味はなんなのか」という、意味や定義を疑いましょう。
例えば「私、友だちがいないんです…」というテーマがあったとすると、「そもそも友だちをどんな定義で捉えているのか?」「友だちがいない、というのは0を見ているのか、それとも10を見ていないと感じるのか」「いないと何が問題なのか」
など、たくさんの問いが出てきますよね。
これをすることで、自分の中の物事の「捉え方」が洗い出されていき、自分が何に価値を置いているのかが分かります。
隠れた前提や無意識が表面に出てきてくれるのです。
②論理が飛躍していないか問う
私たちは自分の思い込みの中で生きています。
これが良い悪いではなく、価値観は事実を歪めることができるのです。だからこそ、「事実」と「価値」の区別をすることは物事を真に捉えるときに必要です。
例えば友人が「ちゃんとした仕事をした方がいいよ」と信頼している人に言われた、と悩んでいたとします。
友人は落ち込んだ様子で、「私の仕事って、ちゃんとしてなかったんだ…」とあなたにこぼします。
そして、「あの人、私に価値がないってずっと思ってたんだ…」と更に落ち込んでいく。
ここに論理の飛躍が起きていますよね。
①事実ベースで考えると、「仕事した方がいい」となんらかの意図で言われた。
②「私の価値」については触れられていない。ここは友人が後付けしている論理。
ここは別に繋がっていないのです。
こういった区別に敏感になることも、哲学思考をより深くしていきます。
③慎重に一般化する
「一般化」とは、抽象化するということです。
例えば「私」→「私たち」→「日本人」→「人」といったように、どんどん主語を大きくするイメージですね。
一般化というのは再現性のことです。主語を大きくすることで、「一般的には」という感覚を持つことができます。
しかし、こんな場面を見ることはありませんでしょうか?
「普通はこうするよね。」「普通は○歳になったら結婚するよね」「普通はそんな理由で仕事休んだりしないよね」
これって物事を一般化したとしても、当てはまらないんですよね。
なので、「どのレベルでの一般化をしているのか?」を哲学思考では捉えます。
「部下がいつも遅刻をしてばかりだ」
と怒る上司がいたとして、その「いつも」の頻度がどのくらいなのか?は聞いてみないとわかりません。
もしかすると毎日かもしれないし、毎週かもしれないし、月に数回の遅刻を「いつも」と呼んでいるのかもしれません。
「成功したい」
この成功が、どの程度の成功であり、何をもっての成功なのか?収入なのか、ライフスタイルなのか、認知度なのか。
相手の一般化と自分の一般化にズレがないか、慎重に見ていく必要があります。
④隠れた前提や理由、判断基準を疑う
自分にとっての「当たり前」は相手にとっても当然だと思ってしまうことがあります。
例えばコロナ禍以降、お仕事は対面ではなくて、zoomで打ち合わせをすることも増えましたよね。自分の中にその前提が当たり前のように居座っていたとすると、その前提がない相手との認識にズレが起きます。
「じゃあ12時に打ち合わせね!」と約束をしたとして、自分はパソコンの前で待機していたけど、相手はオフィスに。なんてことも、起きるかもしれません。
「この文章うまく書けたぞ!!」と自分では思っていたけど、相手にとっては「長いだけで全く刺さらん。」ということだってありますよね。
また、「人を動かすにはどうしたらいいのか?」という問いがあったとして、一生懸命に人を動かす方法を考えるとします。
しかしそもそも、「人を動かす」というのはできることなのでしょうか。また、「そうすべき」であるならば、その正当性はどのように判断するのでしょうか?
そこを考えた時に、「いや、やっぱり、こういうのは本人が決めることで、人が干渉しなくていい部分まで動かそうとしていたかもしれないな」と新しい答えが見つかったりします。
このように、客観視することで今まで気づいていなかった判断基準が浮き彫りになっていきます。
⑤思考実験を行う
問いに対して「仮説」を立てましょう。
「幸せとは何か?」という問いがあったとして、幸せになるには何が必要でしょうか?
お金でしょうか、時間でしょうか。
仮説の立て方は、「もし〜、例えば〜」です。
例えば神様があなたに言いました。
「あなたが欲しいお金も家も食べ物もパートナーも、全部あげましょう。その代わり、一切幸せを感じることはできないけれど、欲しいですか?」
あなたはそんな思考実験をすることで、自分にとっての幸せとは何か?を感じるかもしれません。
お金も家も欲しかった。それがあれば幸せだと思っていた。でも、実際に欲しかったのは、物ではなくて充実した感情だったのかもしれない。
そんな実験をすることで、もっと収入を上げるために転職をしようとしていたけど、その必要がないことに気づくかもしれません。必要なのは転職ではなくて、余暇の過ごし方を変えることだった、という新たな答えが出てくるかもしれませんよね。
「もし〜、例えば〜」で、本質が見えてきます。
⑥アナロジー思考をする
アナロジー思考とは、二つ以上の物事にある共通点を見つけて、考えている課題に応用する思考法です。
「もっと成長したいけど、どうすればいいだろう」
という問いがあったとします。
勉強をするといいでしょうか?筋トレをするといいでしょうか?新しいことに挑戦するといいでしょうか?
この時に、自分の経験やボキャブラリーだけで考えても、出てくる案には限界があります。だからこそ、「自分が別人格だった場合」「違う生き方をしている人の場合」など、自分の枠を超えて考えることで思考は広がります。
例えば、「修行僧」の成長を参考にした場合、「厳しい修行を経て悟りを拓く」というのが「成長」かもしれませんね。
「子ども」の成長を参考にした場合、「自立に向かう」が成長かもしれません。
「会社」の成長を参考にした場合、「売上拡大、利益の増加、社員数の増加」などが成長にあたるかもしれません。
これらを見たときに、自分が求めている「成長」とはなんなのか?がわかってくるのです。
厳しい修行をしたいわけじゃない、売上を増やしたいわけじゃない、となると自分が欲しかった「成長」は自立のことだったのか!!と、アイデアが湧いていきます。
となると、自分にとっての成長の本質が見えて、新たな方向転換ができたり、本当にやるべきことがわかってくるんですよね。
いかがでしたか?
批判的思考にも色々やり方があります。そのどれにも共通しているのが「客観的視点を持ち、多角的に見る」ということです。
この視点を持ちながら物事を見ることで、今までと全く違ったアイデアが出てきたり、判断ができるようになります。
批判的思考で創造者になっていくには
ここまでで、「批判」と「否定」の大きな違いや、批判的思考方法をお話させていただきました。
例えば学者や研究者は、論文を書いたり学会に出たりするときは必ず「批判的意見」を受けます。
むしろ、批判を受けるために学会に出るのです。
「客観的・中立で理性的な意見」が自分をより善く高めてくれることをよく知っているからです。
プロのお仕事なのです。
自分が気づいていない物事の矛盾を、周りの専門家からの批判的目線で見つけてもらったり、改善点を見つけていく。
この結果、より良いものが作れるようになります。
これは、社会にとっての大きな前進ですよね。
「批判」は、より善く生きるための一つの手段なのです。
ここまで読んでいただくと、批判のイメージがかなり変わったのではないかと思います。
- 批判は状況をより善くする可能性がある
- 批判を受けるのがプロ
- 批判は自分が気づいていない盲点を見つける
- 否定は相手が感情的になっている
ここから私たちが活かせることとしては、「批判」は怖がるべきものではないと知ることです。
そして、否定をする人と付き合うのではなく、「善い批判者」と関わることです。
さらには、自分自身が異なった意見を伝える目的は「悪口や否定」ではなく、「批判」の姿勢を取れているか?という意識が重要です。
この辺りを混同してごちゃごちゃにするから、人と関わるのが嫌になってしまうのだと私は思いました。
批判というボキャブラリーがあることで、過去に色々意見を言ってくる人がいて嫌だと感じた経験の捉え方が変わったり、自分が自分に批判的な態度を取ることで、今まで気づかなかった思い込みと和解できたりします。
自分を否定する必要は一切ありません。それは感情的に傷つけることですから。
しかし批判は、事実をさまざまな角度から見ることで、新発見をし、今、過去、未来と和解できます。
批判的思考を持つことで、私たちはより成長していけるのです。
もちろん、批判的な態度を取る時も、「無知の知」のスタンスは大切です。
自分が正しいと思わず、全て知っていると思わず、知に対して謙虚でいること。
その態度を取ることで、「わかること」と「わからないこと」は同時に増えていきます。
それが上質な学びです。
今日からぜひ、「批判的思考」を意識的に取り入れてみてくださいね。
哲学は理性、そして現実を見るということ。思考を深めることで、私たちの可能性はより加速していきます。
最後に、私がよく読んでいる哲学思考の本を載せます。コンサルなどをされている方はもちろん、思考を深めたい方にはぜひ読んでいただきたい一冊です。